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沖縄の焼き物の歴史(れきし)4

近世(きんせい)の壺屋焼き

琉球(りゅうきゅう)の「近世(きんせい)」とは、おおむね江戸時代に当たります。

『球陽(きゅうよう)』という歴史文けんには、ちばな・わくた・宝ぐち(首里)の三つの焼き物産地(さんち)ーかま場ともいいますーを、王国の政府(せいふ)がまとめて、今の壺屋(つぼや)の地に新しくかま場をつくったと記(しる)されています。

 この時期、火災(かさい)防止(ぼうし)のために、お寺や役所は屋根(やね)をかわらでふくように、という政策(せいさく)がしかれていました。そこで、かわらの生産(せいさん)を増(ふ)やすためにかま場を整理(せいり)し、一か所にまとめる政策がとられたのでは、と考えられています。



壺屋焼きの広がりと焼き物の輸入(ゆにゅう)

東京の大名やしき跡(あと)からアラヤチのとっくりが出土(しゅつど)しました。

江戸時代に入り、琉球(りゅうきゅう)王国(おうごく)がさつま(今のかごしま県)や江戸幕府(ばくふ)と主従(しゅじゅう)関係(かんけい)を結ぶようになると、琉球からかごしまや江戸に国王の使いを派けんする必要が出てきました。

そのとき、あわ盛をおみやげ品やけん上品としてたずさえていきましたが、その入れ物に壺屋焼きが使われ、あわ盛といっしょにおくったり、けん上されたりしました。

そこで大名やしきからあわ盛のとっくりが出土(しゅつど)したと考えられます。
アラヤチとっくり


アラヤチとっくり(にたような作品が東京の大名のやしき跡で発見されました)

また、日本や中国などからゆ入された焼き物も使われていたようです。
中国でつくられた皿
中国でつくられた皿
(にたような作品がわくたかま跡から見つかっています)
いまり焼きのとっくり
いまり焼きとっくり
(沖縄各地(かくち)で見つかっています)

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