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沖縄の焼き物の歴史(れきし)3


4  焼き物の古い産地(さんち)

16世紀の終わりごろになると、海外からゆにゅうされる焼き物も少なくなります。そして、沖縄本島や八重山(やえやま)の石垣島で、焼き物の産地(さんち)があらわれます。

発くつちょうさなどで知られている産地には、壺屋(つぼや)わくた(げんざいの沖縄県ちょうがあるちいきです)、きな(よみたん村)、ちばな(沖縄市)、こがち(名ご市)、さば(おおぎみ村)があります。

八重山ではみやら、黒石川、平田、サンダビラなどで焼き物が生産(せいさん)されていたことが知られています。

これらの産地では、つぼやかめなどのおおがたのせい品から、わんやお酒を入れるとっくりなどのこがたの製品(せいひん)までいろいろつくられていたことが発くつされた製品のかけらなどからわかっています。




(1) わくた焼き


わくた焼きは、1616年にさつま(げんざいのかごしま県)から来た朝鮮(ちょうせん)人のとう芸しょく人の指どうで始まったと伝わっています。

表面に木のはいで作ったうわぐすりをかけたわんが知られています。うわぐすりとは、食物がしみこまないようにするため、うすいガラスににたまくを表につくるための材料です。

うわぐすりは、器(うつわ)の表面にもようをあらわす場合(ばあい)にも使います。

わくた焼きが焼かれたあとは、那覇市(なはし)いずみざきの県ちょうあたりに広がっています。




はいのうわぐすりがかかったわん





 わくた焼きのわん
(2) きな焼き・ちばな焼き

きな焼きはよみたん村きな、ちばな焼きは沖縄市ちばなに、それぞれ古い焼きがまがあったようです。

器(うつわ)の表(おもて)にかかったうわぐすりがにていること、かけらの化学的分せきの結果などから使われた土もほとんど変わらないことなどから、はっきり区別(くべつ)するのはむずかしいようです。

つぼやかめのような大型(おおがた)の製品(せいひん)から、わんなどの小型(こがた)のものまで、いろいろな製品がみられます。



きや焼きのつぼ










きな焼きのつぼ
(3) 壺屋(つぼや)焼き


壺屋(つぼや)焼きは、それより古いきな焼き、ちばな焼きやわくた焼きのぎじゅつを受けついでいると考えられます。

きな焼きやちばな焼きのぎじゅつはアラヤチ(荒焼)のつぼやかめに、わくた焼きの技術(ぎじゅつ)はジョーヤチ(上焼)の製品(せいひん)に受けつがれている様子(ようす)がわかります。


水がめ

壺屋焼きの水がめ


壺屋焼きのわん

壺屋焼きのわん
(4) こがち焼き

こがち焼きには、あめ色(黄色みがかった茶色)や黒色のうわぐすりがかかったものが多くみられます。

かめやつぼなどのおおがたの製品には、ぬのやワラでうわぐすりをぬったあとがみられます。

焼いたかまは、名護市(なごし)こがちの村の西側のおかにあったことがわかっています。




こがち焼きのつぼ

こがち焼のつぼ
(5) さば焼き

さば焼きは、おおぎみ村じゃなぐすくにかまのあとがあったといわれますが、まだみつかってはいません。

焼いたあとのかけらが発見されています。

見つかったかけらの分せきから、わんやすりばち、かめやつぼなどがつくられたと考えられています。



さば焼きのびんの口

さば焼きのびんの口
さば焼きの花びん

さば焼きの花びん
(6)八重山(やえやま)焼き

みやら、黒石川、平田、サンダビラなどのかまで焼かれた焼き物を「八重山焼き」と呼んでいます。

1724年に国王の命令で仲村渠(なかんだかり)致元(ちげん)が八重山にわたり、焼き物の作り方を指導(しどう)したといわれます。

アラヤチ(荒焼)・ジョーヤチ(上焼)とふたつの作り方を伝えたとされますが、現在みることのできる製品はうわぐすりのかからないものが多いようです。
八重山焼きの水がめ

八重山焼きのかめ

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