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沖縄の焼き物の歴史(れきし)1


1 沖縄の焼き物の始まり

(1)土器(どき)が作られ、使われる
 
 沖縄で土器(どき)がつくられたのは、今からおよそ6600年前のことです。土器をつくることができるようになって、生活はどのようにかわったのでしょうか。最初(さいしょ)の土器はものをにる道具。そうです。おなべとして使われたのです。

 それまでは、生で食べるか、焼いて食べるか、煙(けむり)でいぶして食べるか・・・。考えてみましょう。それにしても、土器を使ってはじめてものをにて食べることができるようになってから、人々の暮らしはずいぶん変わったと思いませんか。ごはんだって、にて食べるのですから。

 沖縄本島(ほんとう)や近くのはなれ島の土器の作り方は、はじめから九州(きゅうしゅう)のえいきょうを受けていました。ということは、その時代(じだい)から沖縄と九州の間で船(ふね)の行き来があり、人や物やわざの交流(こうりゅう)があったことになります。すごいですね。

 宮古(みやこ)や八重山(やえやま)では、九州や沖縄本島とはちがう形の土器が生まれています。




沖縄本島(おきなわほんとう)で使われた土器(どき)
沖縄本島で使われた土器

宮古(みやこ)で使われた土器(どき)
宮古で使われた土器

八重山(やえやま)で使われた土器(どき)
八重山で使われた土器


(2) カムィ焼きーかまで焼かれた焼き物があらわれ、使われる
 土器は、製品(せいひん)を地面につみあげ、そのうえにかれ草や小枝(こえだ)をかぶせて焼かれました。
 
 12世紀(せいき)から15世紀ごろにかけて、あまみ地方の徳之島(とくのしま)で焼かれたカムィ焼きが、あまみ・沖縄の島々(しまじま)で使われます。カムィ焼きは、土でかまをきずいて製品を中につめ、高温で焼いたもので、土器より固くじょうぶです。黒みがかった灰(はい)色をしています。つぼ、かめ、鉢(はち)、わんなどが、あまみや沖縄のいせき(昔の生活の様子を残す場所)から発くつされています。

 沖縄の島々ではこの時代にかまを焼いたことを示すいせきは、見つかっていません。カムィ焼きの分布(ぶんぷ)は、あまみ・沖縄の島々が焼き物をとおして交流(こうりゅう)をしていたことをしめしています。





カムイ焼きのつぼ
カムイ焼きのつぼ

(3) 海外から焼き物が輸入(ゆにゅう)される

 12世紀ごろから、中国で作られた焼き物が輸入(ゆにゅう)されるようになり、14世紀の終わりごろから15世紀のはじめに輸入量が一番多くなります。磁器(じき)といううすくて固い焼き物が沖縄各地のいせきから発くつされています。この時期の沖縄は北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)と呼ばれる三つのせい力ちいきに分かれていて、それぞれが中国と交流していました。15世紀になると、中国のほかに朝鮮(ちょうせん)、タイ、ベトナム、日本からも焼き物が輸入(ゆにゅう)されるようになります。それらの焼き物では、大型(おおがた)のかめやつぼ、わんや皿が多いことが注目(ちゅうもく)されます。

タイの焼き物
タイの焼き物

南中国の焼き物
南中国の焼き物
中国の焼き物
中国の茶わん
2  いろいろな焼き物が使われた時代があったことが、遺(い)せきの発くつ調査(ちょうさ)でわかる

 那覇市の銘刈(めかる)一帯(いったい)は、副都心(ふくとしん)としてせいびが進んでいますが、せいびする前に発くつちょうさが行われました。ここに残っていたいせき(ヒヤジョーモーいせき)から、土器のほかに中国でつくられたわんや皿、徳之島(とくのしま)で作られたカムイ焼きのつぼ、九州(きゅうしゅう)から伝わった石のなべやそれをまねて作られた土器など、どれも12世紀から13世紀にかけて作られたり、輸入(ゆにゅう)されたと考えられる焼き物が出土しました。
 そのことは、沖縄でつくられた土器のほかに、沖縄のまわりの各地でつくられた焼き物もいろいろ輸入されて、使われていたことをしめしています。いろんな焼き物をつかっていろいろな料理がつくられ、食べられたことをあらわしています。それだけ生活のはばが出てきたのでしょう。

ヒヤジョーモーいせき

ヒヤジョーモーいせき
石なべをまねた土器のかけら
石なべをまねした土器のかけら
カムイ焼きのつぼのかけら

カムイ焼きつぼのかけら

中国でつくられた焼き物

中国でつくられたやきもの(じき)

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