識名園 2


正門 いにしえの識名園

いにしえの識名園
正門
 この門は、国王一家や冊封使などが出入りしました。正門、通用門ともヤージョウ(屋門)と呼ばれる屋根のついた形式のものです。
 ヤージョウは、格式のあるお屋敷にのみ許されていたものです。識名園のヤージョウは、王府時代の格式を踏襲した趣のある門です。

 
御殿(ウドゥン) 戦前の御殿
御殿(ウドゥン)
 御殿は赤瓦屋根の木造建築で、往時の上流階級のみに許された格式あるつくりですが、雨端(あまはじ)などに民家風の趣を取り入れています。明治末期から大正時代のはじめごろ、増改築がなされました。
 総面積は525u(159坪)で、冊封使を迎えた一番座、それに連なる二番座、三番座、台所、茶の間、前(メー)の二番座など、15もの部屋がありました。


  
路地
勧耕台碑 育徳泉
勧耕台碑(かんこうだいひ)
「勧耕台碑」は、1838年(道光18)年に尚育王の冊封正使・林鴻年(りんこうねん)が題したもので、手入れの行き届いた田畑を見て、王が心から人々を励ましているとたたえたのです。もとの碑は、戦災を受けて破損したため、1980(昭和55)年に拓本をもとにして復元したものです。
育徳泉(いくとくせん)
 育徳泉は清冽な水をたたえ、池の水源の一つにもなっています。琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」にして、巧みな曲線が優しい美しさを感じさせてくれます。また、井戸口は右手にもあります。
 井戸口の上には、泉をたたえた二つの碑が立てられています。向かって右は、1800(嘉慶5)年、尚育王の冊封正使・趙文揩(ちょうぶんかい)が題した「育徳泉碑」、向かって左の碑は、1838(道光18)年、冊封正使林鴻年(りんこうねん)が題した「甘醴延齢碑(かんれいえんれいひ)」です。もとの碑は、戦災を受けて破損したため、1880(昭和55)年に拓本をもとにして復元したものです。