世界遺産登録!琉球王国のグスク及び関連遺産群
(Gusuku Sites and Related Properities of the Kingdom of Ryukyu)



資料提供:沖縄県教育委員会

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の第24回世界遺産委員会会議(2000[平成12]年11月27日〜12月2日)において、11月30日、日本政府から推薦されていた「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を世界遺産として登録することに決定した(正式には12月2日)。そのうち9件中、4件が那覇市内にある。
 推薦に当たっての記者会見用に公開された文化庁の文章をそのまま転記する。文中「記念工作物」「遺跡」「文化的景観」の用語は、世界遺産条約上の区分である。また「史跡」「重要文化財」「名勝」指定とは、いずれも国指定を指す。
The World Heritage List  Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu


首里城跡
(しゅりじょうあと)(那覇市・遺跡)

首里城跡 首里城は、三山時代は中山国王の居城であったが、1429年の琉球王国統一後は1879年に至るまで、琉球国王の居城として王国の政治・外交・文化の中心的役割を果たした。史跡に指定されている。(写真:那覇市教育委員会発行『那覇市の文化財』)


園比屋武御嶽石門
(そのひやんうたきいしもん)
(那覇市・記念工作物)
園比屋武御嶽石門
 園比屋武御嶽石門は、第二尚氏王統第3代王の尚真(在位1477〜1526)によって創建された石門で、門の背後の樹木地は園比屋武御嶽と呼ばれる聖域となっている。門は重要文化財に、門とその敷地は史跡「首里城跡」の一部である。


玉陵
(たまうどぅん)(那覇市・記念工作物)

玉陵 第二尚氏王統第3代王の尚真(在位1477〜1526)によって築かれた第二尚氏王統の陵墓。中世日本の琉球地方において確立された、独自の石造建造物のデザインを示す貴重な事例である。重要文化財として史跡に指定されている。→玉陵


識名園
(しきなえん)(那覇市)(遺跡{文化的景観})

識名園 1799年に造営された王家の別邸と庭園。王族の保養の場として使われただけでなく、中国皇帝の使者である冊封使を接待する場としても使われ、王府の外交面において重要な役割を果たした。識名園は、近世日本の琉球地方において確立した独自の庭園デザインを示す貴重な事例である。名勝に指定されている。→識名園


今帰仁城跡
(なきじんじょうあと)(今帰仁村・遺跡)

 琉球に統一王朝が樹立(1429年)される直前の三山時代(北山、中山、南山)の北山を治めた国王の居城。1416年に北山が中山に滅ぼされた後には、琉球王府から派遣された北山監守の居城となった。史跡に指定されている。


座喜味城跡
(ざきみじょうあと)(読谷村・遺跡)

座喜味城跡 1420年代に有力な按司(アジ)であった護佐丸によって築かれた城。北山が滅びた後も、その旧勢力を見張る目的で造営され、琉球王国成立の初期に国家権力の安定に重要な役割を果たした。史跡に指定されている。(写真提供:読谷村教育委員会)


勝連城跡
(かつれんじょうあと)(勝連町・遺跡)

勝連城跡 琉球王国の王権が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司、阿麻和利の居城。阿麻和利は、1458年に国王の重臣で中城に居城した護佐丸を滅ぼし、さらに王権の奪取をめざして国王の居城である首里城を攻めたが大敗して滅びた。これにより首里城を中心とする中山の王権は安定した。史跡に指定されている。




中城城跡
(なかぐすくじょうあと)(北中城村・遺跡)
 
 首里王府に対抗していた勝連城主の阿麻和利を牽制するために、座喜味城主であった護佐丸が国王からの命により移り住んだ城で、琉球王国の王権が安定化していく過程で重要な役割を果たした。史跡に指定されている。



斎場御嶽
(せいふぁうたき)

斎場御嶽 第二尚氏王統第3代王の尚真(在位1477〜1526)が整備した国家的な宗教組織との関係が深い格式の高い御嶽で、中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たした。斎場御嶽は、琉球地方に確立された独自の自然観に基づく信仰形態を表す顕著な事例である。史跡に指定されている。